闇エピソード

闇エピソード

いつまで続くのかな。いつかこの暗いトンネルから抜け出せるのかなって思った時代やエピソードが私にもある。

ネガティブな一面

わざわざネガティブなこと言うの嫌いだし、見せない強がりタイプだから誤解されることもしばしばあるけど、まぁまぁ人生長く生きてたら、いろんな経験してきました。ちょっと驚かせてしまうこともあるかもだけど、書ける範囲で書き出してみました。オエっと自分でもなるくらいフラッシュバックしたけど、自分の掘り起こしでもあるから、色眼鏡を外してもらえると嬉しいかな。いきますね。

学生時代は、距離を保てずに土足で踏み込んできて気持ちめちゃめちゃにしていった人もいた。学校のトイレに閉じ込められたことも、先輩に呼び出されたことも、タクシーで知らない場所に降ろされたこともある。上司に抱きつかれたこと、セクハラもモラハラもパワハラもある。熱狂的なジャニオタとして散財しまくったこともある。

海外旅では、財布落としたり、携帯盗まれたり、暴行されそうになったり、暴言はかれたり、お金なくてタダ働きしたり、いろんなことがあった。

出産してからは、毎日絡んでくるママ友との交流に悩むことや、ワンオペで押しつぶされそうになって残業中の夫に泣いて電話したことも。小児喘息の息子の症状のことで苦しくって辛くって病院を転々としたり、周りの声が聞こえすぎて子育てしにくいと感じたこともある。

ガードが固くて壁を作りやすかった自分もいたし、そんな自分をやめようとシャッターオープンにしてみんなにいい顔してそれはそれで辛かったこともある。相手に不快な想いをさせてしまったことも、仲良しだった友人との関係を断ったこともある。

3つの命の流産体験は残酷で果てしなく辛かった、若くして友人の死もあった、戦争で生死を目の当たりにしてきた陸軍看護婦だった祖母の存在(これは闇じゃない!生き様を見て感じてたブログはこちら)があったり、死について考える機会も多くあった。

サポーターの存在

辛い経験はひとつやふたつどころか、出てくる出てくる泣くほど辛かったこと。これでも、エグくてグロいエピソードは割愛させてもらってますよ。仲良しの友達からは、アレは書かないんかー!コレもあるじゃんかー!って突っ込みが入ると思います。

こんな私が、今では自分の人生に起こる辛いことも苦しいこともひっくるめて大切な要素だと思えていて、一日一日を不本意なこともあるけれどまぁ楽しいことのほうが何倍も多いからいっか!と生きたいように生きています。

それって、なんでなんだろう。どうしてここまで全うな人間で生きてこられたんだろう(自分で思ってるだけ?)まぁまぁヘラヘラ、のらりくらり楽しいこといっぱいあるな、幸せなこといっぱいあるなって感じて生きてこられたんだろう。

ふと考え始めたら、一つの答えに辿りつきました。

それは、いつも誰かがそばにいてくれて応援してくれてたってこと。

時に、父親だったり、母親だったり、弟だったり、妹だったり、彼氏だったり、友達だったり、バイトの友人だったり、会社の同期だったり、その日出会ったばっかりの旅人だったり、親友だったり、夫だったり、息子だったりした。

いつも私は助けてもらってて、どんなときも一人じゃなかった。

孤独を感じて、独りな気がしてたこともあったけど、それは思い込みだった。

いつだって、私を正面から見てくれる人がいた。

そのときは気づけなかったこともあるけど、後からそう思えて感謝したことも数知れない。

みんな意外と普通じゃん

SNSやYouTubeとか、誰でも発信できる時代で、私ももう10年以上いろんなSNSをしているけれど、メディア上での人物を見てから、初見でリアルやオンラインビデオ上で会ったりすると、まず意外と普通、なことに気づく。

フォロワー数のいるツイッタラーも、映えてるインフルエンサーも、リアルで会うと、普通の人。えーこの人があの人?ってびっくりしたりする。

これは一般人だけじゃなく、有名人もそう。

エキストラの仕事や、都内で芸能人を見かけることや、何かの席で同席する経験がこれまで数知れずあったけど、メディアに出てる人という先入観でオーラはつくられているだけで、目の前にいるそこにいる一人の人は、素朴、地味、親近感とかいう言葉が似合い、必死で生きてる。

本当に「リアル」があって、そういうの見ると、この人たちも一人の人間なんだなぁと純粋に、安心感っていうのかな、なんかそんな感覚をもちます。

勝手にすごい人に仕立て上げてしまうけど、見せ方が上手い、センスが良い、関わっているプロが沢山いてそう魅せているという側面が大きい。もちろん間違いなく、100%努力の賜物であるし、頭が良かったり、才能に優れてたり、みんなそれぞれの優位があります。だけど、それは人類みんなにあります。気づけるか、感じられるか、教えてもらえるか、応援してもらえるかでものすごい差がつくだけ。

辛いときは声を出して救いを求める

頑張っている人には、応援したくなって、何かしてあげられることないかなって思わせる資質がある。それは、努力の姿勢を見せることだけじゃなく、助けてって言えることであり、心を開くことじゃないかと思います。

悩んだり、もがいてる人に向かって「きっとあなたも大丈夫」なんて、簡単な言葉は並べないけど、いろんな経験をしてきた私だからこそ、言葉に重みを持たせられることがあって、誰かの行動を後押しする応援的な声がけができるのかなとも思います。

ありきたりだけど、辛い経験をしてる人ほど、他人に優しくなれるし強くなれるよ。

こんな私になら、お話ししてみたいなとか、お話し聞いてみたいなって思ったら、いつでも連絡待ってます。顔出し発信してるから、夫に親戚、子どもやママ友、それに旧友だって見にきます。だから、彼らを傷つけるような言葉は発しない。今回私のダークな部分を書いたのは、いろんなことあっても乗り越えてきたよ、って誰かの背中を押せたらいいなって気持ちと、誰かのことキラキラ眩しいって疎ましく思うことがあるなら、それはもしかしたら本質的に捉えきれてないかもよ!ということを理解してもらえたら、誰かの助けになれるかなって思ったから。

どうぞ、人間的な私とKEIの部屋でお話ししてみてください。クローズド空間でお待ちしてます。

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